ブライアン・ジョーンズ:新聞広告から始まったストーンズ伝説と、プールに沈んだ最後

ローリング・ストーンズを知っている人はたくさんいる。ミック・ジャガーの挑発的なステージを知っている人も。キース・リチャーズの不死身ぶりを知っている人も。

ではブライアン・ジョーンズを知っているか。彼こそが、バンドをゼロから作った男だ。

始まりは、新聞の広告一行だった

1962年5月、ロンドンのジャズ専門誌「ジャズニュース」に小さな広告が載った。「R&Bグループのメンバー募集、オーディションはブリックレイヤーズ・アームズ」。出したのはブライアン・ジョーンズ、当時19歳。そこにミック・ジャガーとキース・リチャーズが現れた。

バンド名を思いついたのもブライアンだ。会場の担当者から「バンド名は?」と電話で聞かれ、咄嗟に床に転がっていたマディ・ウォーターズのアルバム「ベスト・オブ・マディ・ウォーターズ」の1曲目「ローリン・ストーン・ブルース」を見て答えた。こうして世界で最も有名なロックバンドのひとつが生まれた。

才能の塊だったが、評判は複雑だった

ブライアンの音楽的才能は本物だった。スライドギター、リズムギター、ピアノ、マリンバ、ダルシマー、メロトロン、サックス、そしてシタール——「ペイント・イット・ブラック」のシタール、「アンダー・マイ・サム」のマリンバ、「ルビー・チューズデイ」のリコーダー、これらすべてブライアンが弾いている。ファッションセンスも群を抜いていた。彼のヘアスタイルとファッションは男女問わず支持され、大西洋をはさんだ多くのバンドに模倣された。

しかし人間関係となると話は変わった。ビル・ワイマンは「ブライアンには少なくとも二面性があった。内向的で繊細で深く考える一面と、自信満々で社交的で他者からの承認を必死に求める一面と。あらゆる友情を限界のはるか向こうまで試した」と述べている。バンド内でジャガーとリチャーズが曲を書き始めると、ブライアンの立場は少しずつ揺らいでいった。ドラッグとアルコールへの依存が深まるにつれ、その揺らぎは加速した。

しかし、時代の証人たちは彼を愛した

1967年、モントレー・ポップ・フェスティバル。グレイトフル・デッドの長い演奏が終わった後、リージェント公爵のような衣装をまとったブライアン・ジョーンズが現れ、マイクを握った。「これまでに聴いた中で最もエキサイティングなパフォーマー」——そう紹介して彼が呼び込んだのは、ジミ・ヘンドリックスだった。その日のヘンドリックスは、ギターに火をつけてステージを焼いた。伝説の始まりだった。

ブライアンはジミ・ヘンドリックスのボブ・ディラン「見張り塔から遥か」の録音にもパーカッションで参加している。またビートルズの「ユー・ノウ・マイ・ネーム」ではアルトサックスを演奏しており、その曲はブライアンの死後に発表された。彼は時代の中心にいた。

1969年、終わりは静かに来た

1969年6月、ストーンズはブライアンを解雇した。翌月7月3日の深夜、彼はイースト・サセックスのコッチフォード・ファームにある自宅のプールで死体となって発見された。27歳だった。コッチフォード・ファームはくまのプーさんの作者A・A・ミルンがかつて所有していた家だ。

ジョーンズの死の2日後、ハイド・パークで予定されていたストーンズのコンサートはブライアンへの追悼コンサートとなった。ミック・ジャガーは詩人シェリーの「アドネイス」を朗読し、3500匹の白い蝶が観客の頭上に放たれた。

ピート・タウンゼントは「毎日死んでいたある普通の男ブライアンのために」と題した詩を書き、ジミ・ヘンドリックスはアメリカのテレビ番組で彼に曲を捧げ、ドアーズのジム・モリソンは「LA頌歌、ブライアン・ジョーンズの死を思いながら」という詩を発表した。その後まもなく、ヘンドリックスも、モリソンも、同じ27歳で死んだ。

そして、あのジャケット

ブライアンには特別な衣装があった。ブリティッシュ・デザイナーのオシー・クラークが彼のために特別に作った、グリーンのスエード・フリンジ・ジャケットだ。オシー・クラークは通常、女性のための服を作っていたが、ブライアンのためには喜んでこのジャケットを仕立てた。ブライアンはそのことをとても誇りに思っていた、と最後の恋人アンナ・ウォーリンが書き残している。

このジャケットはブライアンが1968年のNMEアワードに着ていったもので、それがバンドと共に立った最後のステージとなった。

半世紀以上、アンナはこのジャケットを彼との記憶として大切に保管していた。それがオークションに出品された。推定落札価格は1万5,000〜2万ポンド(当時で約250万〜330万円)。この金額なら、手が届かないわけでもない——そう思わせてくれる数字だ。

ただ、ブライアン・ジョーンズの名声はいまも衰えていない。次に市場に出るとき、値段はきっと今よりずっと上がっているだろう。

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tokaijiruのアバター tokaijiru 都会汁代表

都会汁。私は、どこにでもいて、どこにもいない。長い年月を経て、ようやく見えてきた世界の裏側と新しい日常。ここは、私が拾い集めた断片を静かに吐き出す場所。通りすがりのあなたに、何が伝わるかはわからない。

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