1969年、クラプトンは親友の家に電話した。「ジョージ、話がある。お前の奥さんを愛してしまった」
電話の相手はジョージ・ハリスン。元ビートルズのギタリストで、当時クラプトンの最も親しい友人だった。
すべては映画の撮影現場から始まった
パティ・ボイドは1944年生まれのイングランド人モデル。ジーン・シュリンプトンと並び、1960年代を代表するイギリスの女性モデルのひとりだった。
ジョージ・ハリスンがパティ・ボイドと出会ったのは1964年、ビートルズ主演の映画「ハード・デイズ・ナイト」の撮影現場だった。ハリスンはひと目で惹かれ、その日のうちにデートに誘った。彼女には当時付き合っていた相手がいたため断られたが、やがて二人は交際を始め、1966年に結婚した。
エリック・クラプトンとジョージ・ハリスンの友情が始まったのも1964年のことだ。二人の縁は各々のバンドよりも長く続き、クラプトンはビートルズの楽曲「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」でギターソロを弾いている。親友の家に頻繁に訪れるうちに、クラプトンはパティへの気持ちを抑えられなくなっていった。
「レイラ」は、この恋から生まれた
クラプトンはある日、パティをロンドンのアパートに招き、作りかけの曲を聴かせた。「これまでに聴いた中で最も力強く、感動的な曲だった」とパティは振り返っている。それが「レイラ」だった。
「レイラ」というタイトルは7世紀のベドウィン古典文学「ライラとマジュヌーン」から取られた。届かない愛に狂気の淵まで追い詰められた男の物語だ。クラプトンはパティへの手紙も書いている。「あなたがまだご主人を愛しているのか、それとも別の人を愛しているのか、聞かせてほしい。もしあなたの心にまだ私への気持ちが残っているなら……」そのラブレターをパティはジョージに見せた。ファンからの変な手紙だと思ったからだ。
一方、ジョージ・ハリスンが書いた「サムシング」もパティへの曲だ。「アイ・ニード・ユー」「イフ・アイ・ニーデッド・サムワン」「フォー・ユー・ブルー」——ハリスンのパティへの曲はいくつもある。同じ女性が、同時代の二人の天才から、歴史に残る曲を引き出した。
顛末と、その後
パティがハリスンの元を去ったのは1974年。ハリスンがリンゴ・スターの妻モーリーンと不倫していることを知ったことがきっかけだった。ハリスンとの離婚が成立してからほどなく、パティはクラプトンと交際を始め、1979年に結婚した。
しかしクラプトンの深刻なアルコール依存と暴力的な振る舞いがパティをも依存症に追い込み、関係は徐々に壊れていった。1989年に離婚。離婚後、パティが下した結論は冷静なものだった。「エリックはジョージが持っているものが欲しかっただけ、という気がしてきた」。
それでも、ハリスンはクラプトンを「夫の義兄弟(husband-in-law)」と呼んで友情を続けた。2001年、ハリスンが癌で亡くなる直前、彼はパティのもとを訪ねた。小さな贈り物を持って。二人でお茶を飲み、音楽を聴いた。パティは「彼がよくないことはわかっていた。手遅れになる前に会いに来てくれたのだと思う」と振り返っている。クラプトンはハリスンの死後に開かれた追悼コンサート「コンサート・フォー・ジョージ」の音楽監督を務めた。
谷崎と佐藤の話を思い出す
かつてこのコラムで、谷崎潤一郎と佐藤春夫の話を書いた。谷崎の妻・千代に恋した佐藤。「妻を譲る」と約束した谷崎が約束を反故にし、佐藤は激怒して絶縁。その怒りと喪失が「秋刀魚の歌」になった。最終的に千代は佐藤と結婚し、谷崎と佐藤の友情は終生続いた——という話だ。
パティ・ボイドの話は構造がほとんど同じだ。友人の妻に恋し、詩と音楽に昇華させ、紆余曲折の末に結ばれ、しかし壊れ、それでも友情は消えなかった。時代も国も違う。しかしこういう話は、繰り返される。
では、不倫をぶっ叩く日本の風潮はどうなのか
日本の芸能人が不倫を報じられると、週刊誌が追いかけ、SNSが燃え、謝罪会見が開かれる。スポンサーが降り、仕事が消える。当事者でもない人間が見知らぬ誰かの恋愛を裁く。
ハリスンとクラプトンとパティの話は「ロック史上最も神話的な三角関係」と呼ばれ、伝説として語り継がれている。谷崎と佐藤の「細君譲渡事件」も大スキャンダルだったが、今では文学史の傑作エピソードとして残っている。
どちらも、少なくともその時代の当事者たちが傷つき、悩み、生きた話だ。他人の恋愛を燃やすことにどれほどの意味があるのか、少し考えてみてもいい気がする。そのエネルギーが創造に向かったとき、「レイラ」や「サムシング」になることもある。

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