海のない国が、海を祝う日——ボリビアの「海の日」

3月23日、ボリビアの首都ラパスにあるアバロア広場に、制服姿の海軍が整列する。ボリビアには海がない。それでも海軍がいて、この日に正装で並ぶ。

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何があったのか

1879年、太平洋戦争(チリ対ボリビア・ペルー連合)が勃発した。ボリビアが塩硝の輸出に新たな税を課そうとしたとき、チリ軍はボリビアの港アントファガスタを占領した。戦争はボリビアの完敗に終わり、太平洋に面した沿岸地帯——約400キロの海岸線——をすべて失った。1884年以降、ボリビアは完全な内陸国になった。

3月23日という日付は、太平洋戦争最初の戦闘「トパテルの戦い」が起きた日だ。この戦闘でボリビアの民間英雄エドゥアルド・アバロア大佐は劣勢の中で撤退を拒み、チリ軍に包囲されて「降伏せよ」と迫られたとき「降伏だと?そんな話は祖母にでも聞かせろ」と言い放ち、そのまま戦死した。この言葉は今もボリビアで語り継がれている。

3月23日に何をするか

海の日は「海週間(セマナ・デル・マル)」と呼ばれる一週間の締めくくりとして行われる。

22日夜から始まり、ラパスの街では軍のパレードが行われ、各所でスピーチが読み上げられる。23日当日はアバロア広場を中心に約1時間のパレードが行われ、大統領が来賓席から敬礼する。白一色の海軍制服は、他部隊のカラフルな軍装と対照的で、一際目を引く。

人々は集会に集まり、太平洋沿岸の奪還への決意を新たにする。政治家のスピーチが流れ、カモメの鳴き声と汽笛の録音が街に流れる。学校や大学では、生徒たちが伝統的な歌を歌い、詩を朗読する。歴史的意義についての講義や討論も行われる。なお、海の日は公式の休日ではなく、企業や商店は通常営業している。

国民はどう受け止めているか

これを「政治的なパフォーマンス」と見るか「本物の感情」と見るかは、外側からは判断しにくい。ただ、両方だと思う。アバロア大佐の子孫ナンシー・アネイバ・アバロアはこう語っている。「母はいつも言っていました。曾祖父を最も愛国的な人物として記憶していると。彼の貢献は本物だった」。

ボリビアの元大統領によると、太平洋への出口を取り戻せばGDP成長率が20%高くなると試算されている。海へのアクセスは感情論だけでなく、経済的な切実さでもある。2018年、国際司法裁判所(ICJ)はチリにボリビアとの交渉を強制することはできないと判決を下した。「これは新たな敗北だ。しかし我々は子供たちのために、この国が偉大であるために、戦い続けなければならない」とアバロア大佐の子孫は言った。

季節のこと

3月のボリビアは雨季の終わりにあたる。標高3600メートルのラパスは、この時期まだ肌寒く、時に雨が降る。アンデスの高原に吹く風の中で、白い海軍制服が翻る。

今年も海のない高地で、録音されたカモメの声が流れる。

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この記事を書いた人

tokaijiruのアバター tokaijiru 都会汁代表

都会汁。私は、どこにでもいて、どこにもいない。長い年月を経て、ようやく見えてきた世界の裏側と新しい日常。ここは、私が拾い集めた断片を静かに吐き出す場所。通りすがりのあなたに、何が伝わるかはわからない。

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