小説には「信頼できない語り手(unreliable narrator)」と呼ばれる技法がある。語り手が意図的に嘘をついている場合もある。語り手自身が真実を知らない場合もある。語り手の認識が歪んでいて、読者には別の景色が見えてくる場合もある。いずれにせよ、「語り手の言葉をそのまま信じていいのか」という問いが、物語の底に静かに流れている。
このジャンルの作品を人に勧めたいとき、ひとつだけ守りたいことがある。「この小説、語り手が信頼できないんだよね」と言った瞬間に、その作品の核心を半分壊してしまう。手品師が「次はこのカードを消します」と言ってから手品を見せるようなものだ。帯に「ラスト10ページで世界が一変する」と書いてある本を見るたびに、その帯を書いた人間のセンスを本気で疑う。語り手を信じて読み始めるから、その体験は成立する。だから、語り手が信頼できないとわかった状態で読み始めることは、その作品に対してあまりにも失礼だと思っている。
なのでこの記事では、ぼかす。何も特定できないように書く。知っている人が読んで「もしかしてあれかな」と思ってくれれば十分で、知らない人には何も伝わらなくていい。ネタバレさえしなければ。偶然これらの本を手に取る日が来ることを、切に願っている。
1冊目
日本の小説。1980年代の作品。ある場所に複数の人物が集まり、何かが起きる。ミステリの形式をとっている。読んでいる間、ずっと普通のミステリとして読める。最後まで普通のミステリとして読める。映像化もされている。
2冊目
海外の小説で、翻訳で読める。1920年代の作品。誰かが誰かのことを語っている。語り手は非常に誠実に、丁寧に、事の次第を説明してくれる。発表当時、この作品をめぐって激しい論争が起きた。アンフェアだという人と、これこそが文学だという人が真っ二つに割れた。その論争の内容を知ると、何かがわかってしまうので、これ以上は書かない。
3冊目
日本の短編小説で、100年以上前の作品。複数の人物がそれぞれ語る形式で進む。誰もが自分の見たことを誠実に語っている。嘘をついている人間はおそらくいない。それなのに、全部読み終えると、何かがおかしい。おかしいのだが、どこがおかしいのかをうまく言葉にできない。国語の教科書に載っていたことがある。
4冊目
日本の小説で、2000年代の作品。ライトノベルというジャンルに分類される。ある人物の視点から物語が語られる。その人物は非常に饒舌で、読んでいるとその語り口が心地よい。アニメ化もされており、広く知られている作品だ。語り手について深く考えながら読んだことがない人も多いかもしれない。
5冊目
日本の小説で、1930年代の作品。読み終えるのに人によってはかなりの時間と体力を要する。ある人物が目覚めるところから始まり、自分が何者かわからないまま物語が進む。日本三大奇書と呼ばれることがある。これ以上書くと何かが伝わってしまうので、ここで止める。
以上です。何も特定できなかったとしたら、申し訳ありませんが、ネタバレさえしなければよいのです。

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