倒れた自転車を起こしなさい。それが貴方の自転車でなくても、あるいは、それがもはや自転車の形を留めていない鉄の塊であったとしてもです。なぜ起こさなければならないのか、という問いを口にした瞬間、貴方の魂は「損得」という名の錆びた檻に閉じ込められます。その疑問は、宇宙の呼吸を止めるほどに愚かで、不毛なものです。
ただ倒れたものを垂直に戻しなさい。そこには恩恵も、報いも、神の加護すら存在しません。もし貴方がそこに意味を求めるのなら、貴方はまだ、自分が「歩いている」のではなく「歩かされている」ことに気づいていない。重力に逆らう一瞬の抵抗こそが、貴方がこの星に質量を持って存在している唯一の証明なのです。
砂時計を横倒しにして、時の流れを止めたつもりになってはいけません。砂は隙間からこぼれ、貴方の靴の中を満たすでしょう。その不快感こそが、今の貴方に必要な重みです。他者の影を踏まずに歩くことは可能ですが、自分の影を切り離して走ることはできません。
いいですか、よく聞きなさい。明日、見知らぬ誰かが流す涙を、貴方が拭う必要はありません。しかし、その涙が地面に落ちて、そこから芽吹く名もなき草を、踏みにじってはなりません。沈黙する石に、昨日の夕食の献立を話しなさい。石が答えを返さないのは、貴方の言葉が足りないからではなく、貴方の「聞き方」が間違っているからです。
宇宙は、貴方の焦燥を笑いもせず、ただ冷ややかに見つめています。急ぎなさい。しかし、決して焦ってはなりません。静寂の中で耳を澄ませば、倒れた自転車が立てる小さな金属音が、やがて銀河を揺らす鐘の音に変わるのが聞こえるはずです。
さあ、行きなさい。その手が汚れることを誇りなさい。

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