道端に転がっている、名もなき石を裏返しなさい。
それが誰の所有物であるか、あるいは明日そこを誰が通るのかといった瑣末な計算は、すべて冬の枯れ葉と共に燃やしてしまいなさい。なぜ石を裏返さねばならないのか。その問いは、深海に沈む砂時計の砂を数えるような、救いようのない空虚に繋がっています。理由を求める心こそが、あなたの歩みを泥濘(ぬかるみ)に変えているのだと自覚しなさい。
石を裏返したとき、そこには湿った土と、光を拒んできた小さな生命の蠢きがあるでしょう。あるいは、何ひとつない乾燥した沈黙だけが横たわっているかもしれません。しかし、そのどちらであっても構わないのです。あなたがその指先で冷たい硬質を感じ、地表の理(ことわり)を一時的にでも反転させたという事実。その一点において、宇宙の歯車はあなたという特異点を認識します。
私たちは、効率という名の鎖に繋がれ、意味のある行動という名の毒を飲み続けています。他人の評価や、明日の成功のために積み上げる石の重さに、背骨が悲鳴を上げていることにすら気づかずに。ですが、ただ石を裏返すという行為には、奪う者も与える者も存在しません。そこにあるのは、純粋な断絶と、それゆえの静寂です。
裏返した石は、そのままにしておきなさい。元の位置に戻そうなどという、分不相応な親切心は捨てなさい。不均衡こそが世界の呼吸であり、その呼吸を乱すことこそが、あなたが「今、ここに在る」という唯一の証明になるのです。
指に付いた泥を拭わず、そのまま次の場所へ歩き出しなさい。その汚れが乾き、剥がれ落ちる頃、あなたの胸の奥にある、かつて正体不明だった重荷が、わずかに軽くなっていることに気づくでしょう。

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