適度に不便な家に住もう

便利は素晴らしい。

駅徒歩3分。 24時間営業スーパー。 エレベーター完備。 コンビニまで30秒。 現代都市文明の勝利である。

だが最近、「便利すぎる生活って、少しずつ人間を弱くしていくのでは?」と思うことがある。

例えば、家の目の前に24時間スーパーがある生活。これは確かに快適だ。 牛乳を忘れても問題ない。 卵が切れても問題ない。 夜中にアイスが食べたくなっても、数分後には解決する。

しかし逆に言えば、「工夫する必要」が消える。 冷蔵庫の残りを見ながら献立を考えることも減る。 「今日はこれで乗り切るか」が減る。 足りない材料を代用する頭の使い方も減る。

そして何より、“まとめて運ぶ”機会が減る。 近すぎるスーパーは、小分け買いを誘発する。 結果として、重い荷物を持たない。 歩かない。 階段を登らない。 つまり生活から、微弱な筋トレが消える。 これ、10年単位で見ると結構大きいと思うのだ。

もちろんジムへ行けば鍛えられる。 だが、本来人間の身体って、「生活のついで」で動いていた。 水を運ぶ。 坂を歩く。 荷物を持つ。 昔の人が特別に筋トレしていたわけではない。 暮らしそのものに負荷が混ざっていた。

だから個人的には、若いうちは少し不便なくらいの家のほうがいい気がしている。 例えば、エレベーターのないマンション。 住む前は嫌そうに聞こえる。 だが四階くらいまで毎日上がっていると、脚が変わる。 しかも面白いことに、人間は“必要なら慣れる”。 最初はキツい。 だが数ヶ月後には普通になる。 身体が環境へ適応するのだ。

逆に便利さって、一度慣れると戻れない。 徒歩3分のスーパー。 エレベーター。 宅配。 全部ありがたい。 だが、それらが積み重なると、人間から「ちょっと頑張る」が静かに削れていく。

もちろん、不便なら何でもいいわけではない。 通勤片道二時間みたいな不便は、普通に人生を削る。 インフラ不足も危険だ。 重要なのは、“適度な不便”である。 少し歩く。 少し持つ。 少し考える。 それくらいの負荷。

人間ってたぶん、本当に全部が快適だと、少しずつ脆くなる。 だから、若いうちはエレベーターのないマンションに住むのも悪くないと思う。 買い物袋を持って階段を登る。 汗をかく。 途中で「重いなこれ」と思う。 でも、そういう細かい面倒の積み重ねが、十年後の身体を作るのかもしれない。

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この記事を書いた人

tokaijiruのアバター tokaijiru 都会汁代表

都会汁。私は、どこにでもいて、どこにもいない。長い年月を経て、ようやく見えてきた世界の裏側と新しい日常。ここは、私が拾い集めた断片を静かに吐き出す場所。通りすがりのあなたに、何が伝わるかはわからない。

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