村八分を解消するために

日本には未だに村八分の悪習が残る村が多数存在する。村八分になってしまったら兎にも角にも一刻も早く村を出る事である。

「話せばわかってくれる」「いつか許してもらえるだろう」と言った甘い見通しは地獄への片道切符。村にいる限り今日今この瞬間こそが最良の日であり、悪化することこそあれ村八分が終わる日は来ない。来たとしたらあの世に旅立った後。

村八分

だが、例外が二つある。一つは南馬宿村に残る伝統の「泥ーん」である。村八分になった人が村長屋敷前で三日三晩の土下座をすると挑戦することが許される「自立歩行型全自動農薬噴霧機」が泥ーんである。全身に泥を塗りたくり、乾いて動けなくなる前に村中の畑に農薬を散布できたら村八分が解除される。

過去にたくさんの挑戦者がいたが、成功したのは伝説の農業指導者重敏ただ一人である。この話はまたの機会に譲ろと思う。

もう一つは飯津村に伝わる女性が挑戦できる食料調達ボランティアである。飯津村は治水が悪く、1時間に50ミリ以上の雨が降ると村の主要農業道路が水没する。一度水没すると自力で復旧するまでにかなりの時間を要し、その間山間部の人達はしばらく少ない食料で耐えなければならない。

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そこで活躍するのが、雨の日に婆さんが飯津村で食料を配達する「雨婆飯津」である。村八分になった女性がそれを許してもらうために、背中に背負ったカゴに雨婆飯津と大きく書き、そこに大根を詰めて崖を登るのである。

無事届けて食料問題を解決すれば村八分は解除。しかし志半ばで大根をばら撒きながら崖を転がり落ちることがほとんどらしい。

悪い事は言わない。村八分になったら許してもらおうとは思わず、一目散に村を離れるべきである。

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