フラミンゴにまつわる記憶と歴史
まず、食べた人たちの話
フラミンゴを食べた記録は存在する。ただし現代の話ではない。
古代ローマ時代、ポンペイの住民はフラミンゴの肉を輸入して食べていたことが発掘資料から確認されている。さらに古代ローマの美食家アピシウスは「この世で一番の味はフラミンゴの舌だ」と力説したと伝えられている。ただしアピシウスは孔雀の舌や入手困難な食材を珍重した人物でもあり、希少性がバイアスになっていた可能性は否定できない。

時代は下って17世紀、イギリスの探検家・海賊ウィリアム・ダンピアはフラミンゴの肉を「黒味を帯び、脂肪が少なくてよい肉」と記録している。褒め方が控えめだ。「よい肉」と「美味しい肉」の間には、距離がある。
現代において、フラミンゴは国際条約によって保護されており食べることはできない。ジュール・ヴェルヌが「十五少年漂流記」でフラミンゴを美味と描写したのは、アピシウスの記録に影響を受けたと考えられているが、実際に食べたわけではない。真の味は現代人には確認できないまま、謎として残っている。
昭和、フラミンゴショーの時代
フラミンゴは食べるものではなく、見るものとして日本の昭和を席巻した。
トロピカルリゾートへの憧れが大きかった昭和中期、フラミンゴは南国の象徴だった。高度経済成長期の日本人にとって、ピンク色の長い足を持つこの鳥は、異国の豊かさそのものだった。
旗手は千葉県勝浦市の行川アイランドだ。長い足のフラミンゴたちが、池の周りでサンバやワルツのリズムに合わせてダンスする。時に激しく、羽根を羽ばたかせながら池を横切る。

フラミンゴショーは100羽のフラミンゴがサンバやワルツに合わせて行進するもので、風雨があると鳥が羽ばたくなど、非常に難度とオリジナリティーの高いショーだった。その人気は凄まじく、1964年の開園後、フラミンゴショーの人気などから1970年には年間117万人もの入場者数を記録した。この施設のために外房線に行川アイランド駅が設けられたほどだ。
駅が作られた。フラミンゴのために。
子供には不気味だった
ただし、このショーを子供の目線から見ると、話が変わる。
クラシック音楽が流れる中、ピンク色の大型の鳥が何十羽も隊列を組んで歩いてくる。脚は異様に細く長い。首はS字に曲がっている。顔の向きが人間とは違う。群れで動く。音楽に合わせているかのように見えるが、本当に合わせているかどうかわからない。
大人が「きれい」と言っている横で、子供が泣いていたのは、そういうことだ。「かわいい」と「こわい」の境界は、子供にとってフラミンゴの足の長さあたりにある。
栄枯盛衰
行川アイランドの入場者数は1970年をピークに減少し始めた。1983年の東京ディズニーランド開園で観光客を大きく奪われ、バブル崩壊後の景気低迷でさらに減少。2000年の入場者数は最盛期の6分の1以下の年間19万人にまで落ち込んだ。
そして決定的な事態が起きた。開園以来ショーを行ってきたフラミンゴが高齢化し、新しい個体を購入する費用も困窮した。フラミンゴ1羽の購入費用は50万円だった。2001年、閉園が決定した。
フラミンゴの老齢化が、施設の命運を決めた。
閉園後、行川アイランドは廃墟になった。駅だけが残った。行川アイランド駅という名前のまま、無人駅として今も外房線に存在している。駅前の案内板には今もフラミンゴのレリーフがついている。
今もフラミンゴショーはある
昭和のフラミンゴショー文化は完全には消えていない。
宮崎市フェニックス自然動物園では昭和46年(1971年)の開園以来、毎日フラミンゴショーを続けている。2012年にはリニューアルして「フライング・フラミンゴショー」となり、ネットで囲った会場でフラミンゴが実際に飛ぶショーに進化した。
フラミンゴが飛翔するショーは国内唯一だ。サンバやワルツに合わせて歩くだけだった昭和のショーから、本当に飛ぶショーへ。フラミンゴは昭和を超えて、令和の空を飛んでいる。

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