パクチーが苦手な人間がいる。
葉っぱ一枚がスープに浮いているだけで、その日の食事が終わる。フォーを頼んだら上に大量に乗っていて、箸で避けようとしたら香りが手に移って、もう無理になる。あの独特の石鹸のような、カメムシのような、しかし慣れると麻薬のような香り——苦手な人にとっては拷問で、好きな人にとっては天国という、完全に二極化した食材だ。
しかしここに問題がある。
東南アジアを旅したい。タイに行きたい、ベトナムに行きたい、ラオスに行きたい。しかしあの地域の料理からパクチーを除外するのは、ピザからチーズを抜くようなもので、現地の食文化に対してあまりにも失礼だ。できれば残したくない。できれば現地の人と同じものを同じように食べたい。
そんな切実な悩みに応えるべく、かつて一軒の店が存在した。
パクチー専門店「荒療治」
コンセプトは明快だった。「苦手を克服するには、逃げ場をなくすしかない」。
メニューの第一段階は「パクチー入りスープ」だ。ただし完食しないとドアが開かない仕組みになっていた。残した量に応じて、店内のパクチーの香りが段階的に強くなる。逃げれば逃げるほど、追ってくる。
第二段階は「パクチー風呂」だった。大量のパクチーを浮かべた湯船に入りながら、パクチーを使った料理を食べる。完食するまで湯の温度が少しずつ上がっていく。パクチーの香りは湯気とともに全身を包む。どこにも逃げ場がない。鼻でも皮膚でも口でも、全方位からパクチーが来る。
第三段階の詳細は、裁判記録にしか残っていない。

なぜパクチーを食べられるようになった方がいいか
パクチー、学名コリアンダーには、一応メリットがある。抗酸化作用、消化促進、デトックス効果があるとされており、鉄分やビタミンKも含まれている。東南アジアや中東、中南米など、世界の広い地域で日常的に使われている。
つまり、これが食べられれば、世界の食の扉が大きく開く。
タイのガパオ、ベトナムのフォー、メキシコのタコス、インド de チャットニー。全部パクチーが関わっている。苦手なままでいると、旅先で戦い続けることになる。
訴訟と逮捕
「荒療治」は開店から8ヶ月で、3件の訴訟を抱えた。
内容は「退店の自由を侵害された」「熱湯による軽度の火傷」「精神的苦痛」だった。店主は「全員同意書にサインした」と主張したが、裁判所は同意書の有効性を認めなかった。
店主は営業停止の後、逮捕された。店は閉まった。パクチー風呂の湯は冷めた。
我々はどこへ行けばいいのか
「荒療治」を失った今、パクチー難民に残された選択肢は限られている。
少量から慣らしていく、という地道な方法がある。最初はパクチーが入った料理の汁だけ飲む。次に葉っぱの欠片を一枚だけ食べる。これを繰り返すと、人によっては数ヶ月で慣れるという。
あるいは、開き直るという方法もある。「私はパクチーが苦手です」と現地の人に伝えれば、たいていの国では笑顔で抜いてくれる。食文化へのリスペクトは、無理して食べることだけではない。正直に伝えることも、ひとつの誠意だ。
しかし心のどこかで思う。
「荒療治」がもう少しだけ、合法的な範囲でやってくれていたら。店主の志は、間違っていなかったと思う。多分。

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