前編
エベレスト、チョモランマ、サガルマータ。世界最高峰の山には、呼び名がいくつもある。
チョモランマは「神聖なる母なる山の女神」、サガルマータは「天の額」。どちらも、その山と長く生きてきた人たちがつけた名前で、聞いただけで山の巨大さと神秘が伝わってくる。
では「エベレスト」は? インド測量局の長官、ジョージ・エベレスト卿の名前だ。本人は命名に反対したとも言われているのに、植民地行政の論理でそのまま定着した。富士山を勝手に測量した外国人が「これはマイケル山です」と言い出したようなものだ。怒っていい案件だと思う。
エンジェルフォール——名前だけは天才
ベネズエラにある世界最長落差の滝、エンジェルフォール。先住民ペモン族はこの滝をケレパクパイ・メルーと呼んでいた。「最も深い場所の滝」という意味だ。これはこれで、滝の本質を静かに言い当てていて美しい。
1937年、アメリカ人パイロットのジミー・エンジェルが飛行機で上空を通過し、この滝を「発見」した。そして彼の名前がついた。構造だけ見ればエベレストと同じだ。
でも——エンジェルフォール、という響き、どうだろう。天使が落ちてくる滝。見上げれば、断崖の上から白い水が、雲をつきぬけて落ちてくる。あの景色に「エンジェル」はたまたまハマってしまった。ジミーさんの手柄というより、滝が名前を引き寄せた感じがする。
名前が風景と一致するのは、才能じゃなくて運だ。でもその運を引いた名前は、強い。
後編
名前は、態度だ
地元を長く生きた人たちは、山に、滝に、土地そのものの声を聞いて名前をつけた。「神聖なる母なる山の女神」「最も深い場所の滝」——どちらも、そこにあるものへの敬意が先にある。
やってきた側は、王の名前をつけ、発見者の名前をつけた。悪意があったかどうかはわからない。ただ、名前の中に「俺が見つけた」という気持ちが透けて見える。土地は征服するものだ、という感覚が、そのままネーミングに出てしまっている。
山は、滝は、誰かが来る前からそこにあった。名前ひとつで、その土地への向き合い方が、案外バレるものだと思う。
大地は借り物だった
アイヌの人たちは、北海道の土地にこんな名前をつけた。「サッ・ポロ・ペッ」——乾いた大きな川。それが札幌の語源だ。「クシュロ」——霧が立ちこめるところ、が釧路になった。地形を、気候を、そこで起きることをそのまま名前にした。地図というより、土地の自己紹介に近い。
北米の先住民たちも同じだった。ラコタ族をはじめ多くの部族が「グレートスピリット」と呼ばれる大いなる意志の存在を感じていた。土地は誰かのものじゃない、大きな何かから一時的に預かっているもの、という感覚だ。だから売買するという発想自体がなかった。
所有権という概念を持ち込んだのは、やってきた側だった。
州の名前が語ること
アメリカの州名には、先住民語由来のものが半分近くある。「オハイオ」はセネカ族の言葉で「大きな川」。「ミシガン」はオジブワ語で「大きな水」。「マサチューセッツ」は「大きな丘のあたり」。「ミネソタ」はダコタ語で「空色の水」(諸説あり)。「ケンタッキー」はイロコイ語で「草原の地」(諸説あり)。土地そのものを表す名前が、そのまま残った。
一方でやってきた側の名前づけは、別の論理で動いていた。「ニューヨーク」「ニュージャージー」はイギリスの地名をそのまま移植した。「ルイジアナ」はフランス王ルイ14世の名前だ。そして「バージニア」——これはエリザベス1世の異名、「処女王(ヴァージン・クイーン)」からきている。女王の名を大陸に刻んだ。
土地を見た名前と、自分を刻んだ名前。並べると少し見えてくる。
名前をちゃんと呼ぶこと
土地に名前をつけるとき、人はたぶん二つに分かれる。そこにあるものを聞こうとするか、自分の論理を持ち込むか。
先住民たちが残した地名には、川の音や、霧の質感や、大地の傾きが入っている。長い時間をかけて、土地と一緒につくった言葉だ。
自然と共存してきた人たちへの敬意は、難しいことじゃなくて、その名前をちゃんと呼ぶことから始まるのかもしれない。

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