万爺ジャンプ

村八分というものがある。 村の共同作業から締め出され、近所付き合いを断たれ、祭りにも呼ばれない。江戸時代から続く制裁で、名前の由来は「十分のうち八分を絶つ」。残りの二分は何かといえば、葬式と火事だ。死ぬときと燃えるときだけは、村人として扱ってもらえる。つまり村八分とは、生きながら半分死んでいる状態だ。

これを解除する方法が、万爺ジャンプである。 やり方は単純だ。村はずれの火の見やぐらに登り、万歳をしながら飛ぶ。それだけだ。

なぜ「万爺ジャンプ」というのか。 万歳しながら爺が飛ぶから、万爺ジャンプだ。以上だ。

なぜ火の見やぐらか。 火事のときだけ助けてもらえる村八分において、火の見やぐらは唯一、村八分の人間にも関係のある建造物だ。そこから飛ぶことは、「二分の側」から「八分の側」への復帰を象徴する。理屈は通っている。

記録に残る万爺ジャンプの中で、最も語り継がれているのが又吉爺さんの一件だ。 九十三歳。村八分になって十二年。やぐらの上に立った又吉爺さんは、飛ぶ前に叫んだという。内容は諸説あるが、目撃者の証言によれば、十七年分の怒りと三年分の泣き言が混ざったような、人語とも獣声ともつかない何かだったらしい。村はずれの犬が一斉に吠えた。そして飛んだ。

着地した又吉爺さんは、全身に泥を浴びて立ち上がった。万歳の姿勢のまま飛んだので、ふんどしの中まで泥が入っていた。さらに悪いことに、やぐらを登るとき膝を擦っていたらしく、ふんどしは泥と血で半分赤く染まっていた。 村人たちはその姿を見て、何かを感じた。根性とか、覚悟とか、そういう言葉では少し違う。どちらかといえば、血染めのふんどしで立ち上がった九十三歳に対して人が自然に抱く、あの感情だ。名前のない感情が、村八分を解除する。

幸い、日本の農村の火の見やぐら周辺には、たいてい水田がある。飛んでも死なない。泥だらけになるだけだ。だいたいは。

現代においてこの風習を実践する機会はほぼないが、構造だけは普遍的だと思う。 謝罪でも弁明でもなく、ただ飛ぶ。泥だらけになって立つ。それで許されることが、世の中にはある。

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tokaijiruのアバター tokaijiru 都会汁代表

都会汁。私は、どこにでもいて、どこにもいない。長い年月を経て、ようやく見えてきた世界の裏側と新しい日常。ここは、私が拾い集めた断片を静かに吐き出す場所。通りすがりのあなたに、何が伝わるかはわからない。

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