カイロのトラムは、なぜ消えたのか——そして、何を失ったのか

カイロにかつて、アフリカ最大のトラム網があった。

始まりはベルギー人だった

1894年、カイロ市議会はベルギーの会社にトラム敷設の権利を与えた。

1896年8月1日の朝、最初のトラムが走った日、カイロの人々は家から飛び出してその「怪物」を見物した。子供たちが後部に飛び乗り、叫んだ。「エフリート(悪魔)だ!」

1900年には年間1124万人が利用し、1905〜06年には3653万人にまで増えた。トラム会社の収益は急拡大し、カイロの都市交通の中心となった。

最盛期にはピラミッドまで路線が延びていた。アフリカ最大のトラム網だった。

クルマが街を変えた

1970年代、エジプト政府は自動車優先の都市政策に転換した。120キロあったトラム網の半分以上が撤去され、中心部からトラムは消えた。

2015年、カイロ市議会は残っていたヘリオポリス地区のレールも撤去した。理由は「過去10年、ほとんど誰も使っていない。遅すぎるし、路線も限られている」というものだった。

2019年、最後のトラムが走り、レールはほぼ撤去された。

これはカイロ市民が選んだ道だ。人口2000万を超える巨大都市が、渋滞と戦いながら下した現実的な判断だった。

トラムが果たしていた役割

トラムはかつて、カイロの社会的な壁を壊した。アッバシーヤの住民と旧市街の住民が初めて交わる場所になった。学校に通えなかった子供が、トラムに乗って別の地区の学校に行けるようになった。

移動の手段は、人と人をつなぐ装置でもある。トラムという乗り物には、数字に現れない価値があった。

そして、日本はどうだろう

カイロの選択を見て、他人事だと思えるだろうか。

日本もまた、同じ時代に同じことをしてきた。路面電車を撤去し、アーケードを壊し、川を暗渠にして駐車場にした。効率と速度のために、街の記憶を削ってきた。気がつけば、どこに行っても同じチェーン店が並び、同じ形の高架道路が走る風景になっている。

香港、リスボン、サンフランシスコ——トラムが残っている都市には、トラムそのものを目当てに観光客が来る。トラムは乗り物であると同時に、街の記憶であり、景観の一部だ。失われてから気づいても、レールはもう土の下だ。

効率だけが都市の価値ではない。そのことに、日本もカイロも、少しずつ気づき始めている。遅くはないと思いたい。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

tokaijiruのアバター tokaijiru 都会汁代表

都会汁。私は、どこにでもいて、どこにもいない。長い年月を経て、ようやく見えてきた世界の裏側と新しい日常。ここは、私が拾い集めた断片を静かに吐き出す場所。通りすがりのあなたに、何が伝わるかはわからない。

コメント

コメントする

目次