信玄餅、いま流行る理由がある

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信玄餅、いま流行る理由がある

二つの「信玄餅」

まず整理しておく 「信玄餅」という名前のお菓子、実は二種類ある。山梨県笛吹市の桔梗屋が作る「桔梗信玄餅」と、北杜市の金精軒が作る「信玄餅」だ。 

えーどっちが本物なの?

ひと悶着ある。最初に作ったのは桔梗屋だが、先行商標との類似を指摘されて「桔梗信玄餅」に改名。その後、金精軒が「信玄餅」の商標を取得した。 

先に作った側が名前を手放す、という苦い過去。どちらも本物、ということにしておこう。

生まれたのは、危機感から

開発のきっかけ

1960年代、洋菓子店がどんどん増えて、和菓子離れが進んでいた。桔梗屋三代目がその空気をひしひしと感じて、「郷土土産で勝負する」と開発に踏み切った。 

ヒントは地元にあった。山梨にはお盆に、餅にきな粉と黒蜜をかけた安倍川餅を食べる習慣があった。これをぎゅっと小さくまとめて、一年中食べられるものにした。 

それが信玄餅の正体か。シンプル!

武田信玄との関係

武田信玄との関係は、実はあっさりしている。武田信玄とは特に関係がない。山梨を代表するお土産になってほしいという願いを込めて、名前を借りただけだ。 

歴史的根拠ゼロ、純粋な願掛け命名。

風呂敷包みの、意外な真実

手作業が生んだトレードマーク

あのひらりとした風呂敷包み。風情があって日本らしくて——と思いきや。

えーほんとに?

機械を買うお金がなくて、仕方なく手作業で包み始めたのが起源だ。 

苦肉の策が、トレードマークになった。 しかも今も変わっていない。1個を包む時間はわずか6秒。1日12万個を、ひとつひとつ手で結んでいる。 

6秒!すごい!

お金がなくて始めた手仕事が、半世紀後に職人技になった。

大河ドラマという、棚ぼた

空前のブーム到来

発売直後、とんでもない偶然が重なった。 翌年からNHK大河ドラマ「天と地と」が放送開始。さらに「風林火山」も映画化され、空前の武田信玄ブームが訪れた。 

名前借りといてよかった!

発売時の日産5000個が、6年後には5万個。今では12万個だ。 

もはや信玄公の加護としか言いようがない。

水信玄餅という、極端な存在

30分で消える幻の水信玄餅

金精軒にはもう一つ、変わり種がある。「水信玄餅」だ。 白州町の湧水に、固まるかどうかギリギリの量の寒天を加えたもの。常温に置くとじわじわと水が染み出し、30分でしぼんでしまう。 

えーほんと?たべたい!

販売は店舗のみ、6月から9月の土日だけ。 

保存のために生まれた信玄餅と、30分で消える水信玄餅。同じ名前の下に、真逆の哲学が並んでいる。

いま流行る、これだけの理由

現代に刺さる三つの魅力

信玄餅が今の時代にすっと刺さる理由は三つ。

風呂敷をぱりぱりと開いて、黒蜜をとろりとかけて、きな粉とざっくり混ぜる。食べる前から体験が始まる「参加型」。SNSの時代に、これ以上ない構造だ。

国産の餅粉を使い、添加物は一切使用していない。 「素材だけ」のシンプルさ。成分表をじっくり読む世代にも刺さる。

そして「容器まで食べる」という進化。発売当初の1968年に「容器も食べられるようにしてほしい」というファンレターが届き、約50年かけて実現した。 SDGsという言葉より先に、答えが出ていた。

50年!気が長い!でもそれがすごい。

締めに

制約がそのまま個性になる

洋菓子ブームへの対抗、機械が買えない貧乏、偶然の大河ドラマ。信玄餅の歴史は、計算より偶然でできている。

でもその偶然を、じわじわと強みに変えてきた。

風呂敷包みも手作業も参加型の食べ方も、もとは制約か苦肉の策だった。それが今、他のお菓子にはない個性になっている。

制約がそのまま個性になる。信玄餅が証明していることは、お菓子の話だけではないかもしれない。

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tokaijiruのアバター tokaijiru 都会汁代表

都会汁。私は、どこにでもいて、どこにもいない。長い年月を経て、ようやく見えてきた世界の裏側と新しい日常。ここは、私が拾い集めた断片を静かに吐き出す場所。通りすがりのあなたに、何が伝わるかはわからない。

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