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なぜ日本の補聴器は高くて不便なのか?欧米との比較でわかる「悪循環」の正体

耳鼻科に行く。難聴と診断される。補聴器を勧められる。補聴器店に行く。片耳15万円と言われる。驚いて買う。つけてみる。ピーピーと高音が鳴る。うるさい。外す。引き出しの中に入れる。 これが日本の補聴器の平均的な末路だ。

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進化した技術と、変わらない店頭

技術は進んでいる。問題はそこじゃない。補聴器メーカーは確かに開発している。充電式で40〜50時間持つモデルがあり、防水性能も備わっている。業界初の水濡れ保証をつけたメーカーも出てきた。AIが周囲の音環境を判断して自動調整する機能もある。スマホと連動して音量を操作できるモデルもある。技術的には20年前とは別物だ。

しかし店頭に並んでいるのは、いまだにボタン電池式の小さな機械だ。充電式の最新モデルは存在するが、日本での補聴器の普及価格帯は片耳15万〜20万円。高級品だと両耳で100万円かかる製品もある。最新の良いものほど、より高い。なぜこうなるのか。構造的な問題がある。

日本における「補聴器の悪循環」

悪循環の正体。難聴を自覚している人の補聴器所有率は、日本では15.2%。デンマークとイギリスは50%を超えており、ドイツ・フランスも40%を超えている。難聴者の割合は日本も欧米も大差ない。なのに補聴器を使う人の数がこれだけ違う。なぜか。

日本では補聴器は保険適用にならず、9割の人が自費で購入している。英国では国が指定する製品であれば、難聴の程度にかかわらず国から無償で提供される。欧米では補聴器は「医療」として扱われる。日本では「買い物」だ。

さらに深刻な問題がある。欧米には「オーディオロジスト」と呼ばれる公的資格があり、聴力検査や補聴器の調整を担う。日本では補聴器の販売に公的な資格がなく、調整が適切に行われないまま販売されることがある。その結果「聞こえない」「不快」という印象が広まった。メガネは眼科で処方箋をもらい、眼鏡店で専門家がフィッティングする。補聴器にはそれに相当する仕組みが日本にない。合わない補聴器を買わされ、使えずに引き出しに入れる。「補聴器はダメ」という評判が広まる。誰も買わない。市場が育たない。価格が下がらない。この悪循環が20年続いている。

Appleがもたらした「ゲームチェンジ」

そしてAppleが動いた。2024年9月、FDAがAirPods Pro 2の補聴器機能を承認した。約200ドルのイヤホンが、処方箋なしで使える市販補聴器になった。

ユーザーはiPhoneで5分程度の聴力テストを受け、その結果に基づいてAirPodsが自動的に音を調整する。専門家によるフィッティングと同等の効果が臨床試験で確認された。おしゃれだ。スティグマがない。すでに持っている人も多い。自分でセットアップできる。しかも既存のAirPods Pro 2へのソフトウェアアップデートで対応した——追加のハードウェアは不要だ。これが補聴器業界に何をもたらすか。「補聴器をつけている人」ではなく「AirPodsをつけている人」になれる。それだけで使用率は劇的に変わる可能性がある。

なぜ日本から生まれなかったのか

なぜ日本はこれができなかったのか。ソニーもパナソニックも、イヤホンを作る技術を持っている。精密部品の製造技術は世界トップレベルだ。難聴者が1430万人いる市場がある。高齢化で需要は確実に増える。それでも日本からAirPodsのような補聴器は生まれなかった。

理由は技術ではない。補聴器は「高度管理医療機器」として厳しく規制されており、家電メーカーが気軽に参入できる市場ではない。保険が効かないから大きな市場にならない。市場が小さいから投資が集まらない。投資が集まらないから革新が起きない。Appleはアメリカの規制緩和(2022年のOTC補聴器解禁)という環境変化に乗って動いた。日本にはその環境変化がまだ来ていない。

イメージの壁と国内メーカーへの期待

眼鏡は「見えない」という問題を解決する道具として普及した。補聴器はいまだに「老人がつけるもの」「みっともない」というイメージを引きずっている。Appleはそのイメージを壊した。AirPodsをつけている人は世界中にいる。その人たちが気づいたら補聴器機能を使えばいいだけだ。

日本に1430万人の難聴者がいる。補聴器を使っているのはそのうち15%だ。残りの85%は、今日も聞こえないまま生活している。高価で、使いにくく、みっともないという理由で。 ソニーよ。パナソニックよ。AirPodsに先を越された悔しさを、次の一手に変えてほしい。

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この記事を書いた人

tokaijiruのアバター tokaijiru 都会汁代表

都会汁。私は、どこにでもいて、どこにもいない。長い年月を経て、ようやく見えてきた世界の裏側と新しい日常。ここは、私が拾い集めた断片を静かに吐き出す場所。通りすがりのあなたに、何が伝わるかはわからない。

Tokaijiru.
I am everywhere, yet I am nowhere.After all these years, I have finally begun to see the hidden side of this world and the dawn of a new reality.This is a quiet space where I release the fragments I’ve gathered along the way.What these echoes mean to a passerby like you, I cannot say.

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