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検挙数を追う警察が「事故」を減らせない決定的な理由

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マクナマラの「データ至上主義」とベトナム戦争

マクナマラに学べ—検挙数を上げれば事故は減るは誤りである。

1965年、アメリカはベトナム戦争に本格介入した。指揮を執ったのは国防長官ロバート・マクナマラ。フォード社で辣腕を振るった「天才」経営者であり、データ分析の鬼だった。

マクナマラの考えは単純明快だった。アメリカ兵1人に対してベトナム兵を何人殺せるか、その比率「キルレシオ」を高い水準でキープすれば、相手の兵力が先に尽きて勝利できる。「ボディカウント」—敵兵の死体の数を数えること—が戦況の正確な指標だとされた。

数字は優秀だった。キルレシオは1:10を超え、ある部隊では1:45に達したという記録もある。アメリカは数字の上では勝ち続けた。そして現実には負けた。

「計測できないもの」が戦場を支配する

数値では計れないベトナム人の愛国心に、マクナマラは目を向けなかった。大規模空爆や枯葉剤散布がベトナム人の反米感情と復讐心を燃え上がらせ、民間人だった人々が次々と武器を手に取った。敵兵は減るどころか増え続けた。

戦争には「摩擦」がある。プロイセンの軍事理論家クラウゼヴィッツが指摘したように、戦場では計画通りにいかない無数の偶発的要素が重なり合い、数式通りに物事は動かない。人間の感情、士気、恐怖、プライド—それらは数値に落とし込めない。

エドワード・ランズデール准将はベトナムの農村部の庶民の感情を考慮していないとマクナマラに進言した。マクナマラはそれをリストに書いた後、消して「測定できないのだから重要ではないはずだ」と言ったという。計測できないものは存在しないも同然—この発想が泥沼を生んだ。

現代日本、自転車取り締まりへの警鐘

さて、時代と場所を変えよう。令和の日本、自転車だ。

最近、警察が自転車の取り締まりを強化している。信号無視、スマホ操作、無灯火、逆走—ルール違反は確かに多い。事故も起きている。取り締まるのは当然だ。問題は目標の立て方だ。「事故を減らせ」ではなく「検挙数を上げろ」という目標が設定されると、何が起きるか。

現場の警察官は数字を出さなければならない。検挙しやすい違反を狙う。駅前の自転車道で止まって、ちょっとスマホを触ったサラリーマンを捕まえる。それは確かに違反だ。しかし、本当に事故の原因になっている深夜の無灯火逆走や、交差点での一時不停止を徹底的に取り締まることよりも、数字が稼ぎやすい。

指標の罠—間違った目標設定が招く失敗

検挙数は上がる。事故が減るかどうかは別の話だ。社会学者のダニエル・ヤンケロビッチはこう言った。「計測できるものは計測して、計測できないものは忘れようと考えるのは、致命的な失敗への第一歩なのです。」

本当に事故を減らすために測るべきものは何か。危険な場所の特定か。ヒヤリハットの件数か。違反の種別と事故との相関か。それとも、自転車レーンの整備状況か。検挙数という単純な指標は、測りやすい。だからこそ危ない。

マクナマラはキルレシオを上げた。ベトナム人はより激しく戦った。警察は検挙数を上げるかもしれない。自転車乗りはより巧妙に違反するか、あるいは違反が多発する本当に危険な場所が放置され続けるか。

目標が手段を選ぶのではない。目標そのものが間違っているとき、手段をいくら洗練させても答えは出ない。マクナマラは天才だった。だから間違えた。天才でなくても同じ間違いを犯せることを、この話は教えてくれる。

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この記事を書いた人

tokaijiruのアバター tokaijiru 都会汁代表

都会汁。私は、どこにでもいて、どこにもいない。長い年月を経て、ようやく見えてきた世界の裏側と新しい日常。ここは、私が拾い集めた断片を静かに吐き出す場所。通りすがりのあなたに、何が伝わるかはわからない。

Tokaijiru.
I am everywhere, yet I am nowhere.After all these years, I have finally begun to see the hidden side of this world and the dawn of a new reality.This is a quiet space where I release the fragments I’ve gathered along the way.What these echoes mean to a passerby like you, I cannot say.

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