逆説的な話をする。屋台文化が最も豊かに花開いているのは、タイ、ベトナム、台湾、インドネシアといった、かつて「豊かではなかった」国々だ。
なぜか。昔は一般の家庭には日本で考えられるような煮炊きする台所がなかった。今でも現地の人が住むアパートではキッチンがないところが多い。台所がない理由は、冷蔵庫が普及する前は暑いから食材の生ものがすぐ腐ってしまうことだ。
冷蔵庫がない。キッチンがない。だから街で食べる。街で食べるから、屋台が生まれる。屋台が生まれるから、人が集まる。人が集まるから、街が賑わう。貧しさが、文化を生んだ。タイでは食費と人件費が安く、光熱費は高い。一人暮らしでは外食をした方が諸々の費用がかからない。料理する時間も短縮できる。経済合理性と文化が一致したとき、文化は根付く。タイの屋台がそうだった。
しかし彼らは、豊かになっても屋台を捨てなかった。今のバンコクには高層マンションが立ち並び、冷蔵庫もキッチンも当たり前に揃っている。台湾の都市部も、ベトナムのホーチミンも同じだ。経済成長とともに、「外で食べなければならない理由」はとっくに消えた。それでも彼らは屋台に行く。
毎朝、毎昼、毎晩。屋台街はタイの庶民にとって特別な場所ではない。若者や仕事帰りのOLなどが日常的に利用する「キッチン」であり、こうした場所の屋台で買って帰るお惣菜が家庭の食卓に並ぶのだ。なぜ捨てないのか。そこに揺るぎない価値があることを、彼らは知っているからだ。隣の知らない誰かと肩を並べて食べること。屋台のおやじと二言三言交わすこと。湯気の立つ一杯を、夜風の中で食べること。それは冷蔵庫があっても、キッチンがあっても、代替できないものだ。
日本は豊かになりすぎた。日本も、かつては屋台の国だった。江戸時代、江戸の町には寿司、天ぷら、蕎麦の屋台が乱立していた。長屋暮らしの職人たちは自炊より屋台が合理的だった。火災のリスクもあり、家で煮炊きすること自体が制限されていたほどだ。
しかし日本は豊かになった。一家に一台の冷蔵庫。広いキッチン。IHコンロ。食洗機。スーパーの惣菜。コンビニのレンジ。宅配グルメ。「外で食べなくても生きていける」環境が完全に整った。
そしてゼロリスク信仰が生まれた。少しでも衛生面に不安があれば許可しない。食中毒が一件でも出れば行政が叩かれる。口コミに「テーブルが汚い」と書かれれば星が落ちる。完璧でなければ存在を許さない空気が、屋台を街から追い出した。豊かさと清潔さと個人主義が三位一体となって、人々は家の中に引っ込んだ。
その結果が、1人飯だ。部屋のドアを閉めて、スマートフォンでデリバリーを注文する。30分後に届いた容器を開け、1人でテレビを見ながら食べる。誰とも話さない。誰の顔も見ない。温かい飯は食べられる。しかし何かが足りない。
その「何か」の正体を、タイ人もベトナム人も台湾人も知っている。そして豊かになった今も、それを手放さなかった。冷蔵庫がなかったから生まれた文化を、冷蔵庫があるからと捨てた国があるのだ。

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