AIが道を選び、自動運転が判断し、乗り物はどんどん賢くなっている。テスラは車線を読み、航空機は自動着陸し、近い将来には空飛ぶタクシーが都市を縫うだろう。人間がハンドルを握る必要すらなくなる時代が、すぐそこまで来ている。
だが、本当にこれでいいのだろうか。
乗り物が賢くなったぶん、人間が衰えていくのではないか。かつて地図を読み、星を見て方角を知り、道を体で覚えた人間が、今やスマホの音声に従って歩いている。乗り物の知性が上がるほど、乗る側の知性は要らなくなる。これは進化なのか、それとも静かな退化なのか。
だとすれば逆説的に、もっとも賢くない乗り物に乗ることこそが、今この時代における最高の粋ではないだろうか。その乗り物の名は、ダチョウである。
ダチョウの脳みその重さは約25グラム。カニカマ2本分だ。一方で目玉は一つあたり60グラム以上ある。つまりダチョウは、脳より目のほうが重い生き物だ。AIどころか、考えることをほぼ放棄した生命体といっていい。時速70キロで走ることができるにもかかわらず、どこへ向かうかはほぼ気分で決まる。
この生き物の背中に、人間は乗ることができる。え?ダチョウなんか乗れる場所ないだろう、この脱腸野郎!という声が聞こえてきます。しかし待ってください。
南アフリカ共和国に、オーツホーンという街がある。ケープタウンから車で約4時間、カルー砂漠の入り口に位置するこの小さな街は、世界有数のダチョウ産業の中心地だ。街にはダチョウ農園がいくつもあり、観光客がダチョウと触れ合ったり、実際に乗ったりできる体験ツアーが行われている。スーパーには普通にダチョウの肉が並び、ダチョウの卵が1個500円で売られている。街全体がダチョウで成立している。
体験の内容は本格的だ。ダチョウの羽と背中の間に足を挟み、羽の付け根をしっかり掴んで乗る。目隠しをされたダチョウが走り出す。係員の補助なしにダチョウを乗りこなすスタッフによるダチョウレースまで開催される。最高速度は時速70キロ。カニカマ2本分の脳で出すスピードとしては、異常である。
AIが完璧に制御し、安心安全を売りにした自動運転が世界を席巻するこれからの時代にこそ、カニカマ2本分の脳みそが繰り広げる予測不能のダチョウライドが求められるのではないだろうか。
行き先はわからない。制御はできない。安全は保証されない。それのどこが悪いのか。人間はずっと、そういう乗り物に乗ってきた。馬に乗り、船に乗り、見知らぬ土地へ向かってきた。完璧な制御など最初からなかった。それでも人は旅をした。
自動運転が「乗る」という体験から不確実性を取り除いていく時代に、ダチョウは逆行する。目的地を持たず、ルートを持たず、ただ走る。その背中に乗ることは、賢い乗り物に慣れきった身体への、小さくて痛快な反乱だ。
南アフリカ、オーツホーン。カニカマ2本分の知性に、すべてを委ねてみてほしい。

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